マイケルジョーダンの伝説・名言から学ぶ①

 バスケットボールの神様マイケルジョーダンをご存じだろうか。1980年代から1990年代にバスケットを世界に広め、人々の期待通りに答え、結果を出し続けた生きる伝説です。その残してきた記録も凄いですが、何より人間性の凄さが魅力です。

 <マイケルジョーダンの伝説の記録>

 15年の選手生活で得点王10回・平均得点は歴代一位・6回の優勝・5度のMVPとまだまだ数え切れないほどの記録を残してきたのがマイケルジョーダンである。また、異次元のプレースタイルや39度の熱があっても試合に出て活躍する・そしてここぞというときに必ず決めるシュート・スポーツをしている人なら知らない人はいないでしょう。

しかし、スポーツだけではない。マイケルジョーダンが残したものは、今でも受け継がれています。

Michael Jordan at Boston Garden

 
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<マイケルジョーダンが残したもの>

 マイケルジョーダンは、バスケだけでなくスポーツ界に残したものがあります。一番有名なのは、試合会見や公共の場にはスーツを着て出るということです。今となっては当たり前ですが、これを当たり前にしたのはマイケルジョーダンなのです。彼が初めにスーツで会見を行い、それが常識に変わったのです。

 そして、スポーツメーカーナイキを有名にしたのもマイケルジョーダンです。当時はアディダス・プーマがスポーツメーカーとして有名だったのを、マイケルジョーダンはナイキと契約し「エア・ジョーダン」というナイキブランドを作ったことがキッカケで、それが世界中に人気が爆発したのです。

 そして今では、アディダスに並ぶスポーツブランドになっていますし、引退して15年経ちますが、「エア・ジョーダン」は今でも人気です。最近では、サッカー選手のネイマールがエアジョーダンと契約を結びました。

 有名選手になれば自分のブラントが欲しいはずなのに、マイケルジョーダンのブランドを選ぶという選手も多く、このことからでも凄さがわかるかと思います。

 このナイキの契約の裏には、色々ありマイケルジョーダンはナイキと契約を求めていたのではなく、他のメーカーだったのです。しかしそのメーカーはマイケルジョーダンを「君はスター選手ではない」といい断られたのです。これも信じがたいことですが、これがあって今のナイキがあり、マイケルジョーダンがあるのです。

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<マイケルジョーダンの人格>

 自分の引退会見で一番初めに話したことは、なんと前日に起こった殺人事件で亡くなった人の敬意から入ったのです。

また、自信が39度の熱になってでも試合に出たことです。出ただけではありません、活躍したのです。試合で30点取れれば凄いのに、ジョーダンは38得点を風邪をひきながらたたき出しました。試合後はもう倒れていましたが。

 その強行出場した理由も人間性が出ています。

今日が初めて試合に来た人もいれば、これが最後の試合になる人もいるかもしれない。そのような楽しみにしている人が1人でもいるなら、試合を体調不良で休めるわけがない」といっています。この人格こそ皆に愛される理由であり偉大であると私はこの件で感じました。

 自分のことなんかよりも、誰かのためにという思いが人一倍強いのがマイケルジョーダンなのです。

<23>

 マイケルジョーダンは常に「23」という番号をとても大切にしていました。背番号も23であり、あらゆるブランドでも使われています。

なぜこの番号なのか?

 それは、兄が背番号45番を付けていたので、兄の半分の少しだけでもがんばれればいいという意味を込めて23にしたのです。このようなことろから彼の周りに対する感謝・敬意を常に持っているのです。

 そして、この23という番号はあらゆるスポーツ選手の背番号でもマイケルジョーダンを尊敬するという思いを込めて、23番を付けている選手も多いです。

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 マイケルジョーダンの人間性は、これだけではありませんが、常に感謝の気持ちを持ち、一度悔しいことがあれば、違う形で必ず成功を成し遂げてきている。そして、時代の先を行く先駆者そのものです。

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